現在の医療機関の応診体勢は、医療先進国とは思えないお粗末さである。
臨月の妊婦が10軒近くの医療機関をたらいまわしにされた揚句、ようやくたどり着いた病院で死亡するなどという、およそ福祉国家ではありえない悲惨極まりない事件が頻発している。
急性心発作で寸刻を争う救急患者が発生しても、これに対応できる医療機関がみつからず、あたら働き盛りの男女が無念の死を迎えている。
急性発作をおこすかもしれない喘息発作を抱える母親が、夜間にかかえる恐怖は如何ばかりであろうか。
福祉を掲げ、命を大切にする日本にとって、まことにふさわしからざる事態である。
かかる事態改善のため、厚労省、医師会、各地の自治体、医療機関さらに救急隊が、懸命に努力している。各地の医療機関相互の間では、スマート・グリットならぬ効率的患者配分に、血のにじむばかりの苦慮を重ねている。だが、ここにも難問が立ちはだかる。遠く離れた代替病院への診察は、それ自体患者の肉体的、精神的負担の増大を招く。現下の保険制度では、余裕のある外来・入院施設を常時用意することは経営破綻を意味する。だから、周辺医療機関はすぐパニックになってしまう。
これにたいして政府が行おうとしてることは、医師数増員である。しかしこれは、まさに木を見て森を見ざるに等しいものである。迂遠な話で即決策からは程遠い。実力ある医師を養成するには少なくとも5、6年はかかる。
最近、新聞でこんな記事が報道された。静岡県吉田・牧の原地方の中核医療機関の話である。
その病院が医師不足で、診療の一部閉鎖さらに廃院の危機、という内容であった。原因は、研修医を主とする医師の引き上げにあった。どこへ引き上げられたかというと、なんと、研修医を派遣していた当の大学病院(浜松医科大学)なのである。大学病院自体が医師不足で診療困難という。これでは、日本の医療は未来永劫衰退の一途をたどらざるをえないことになってしまう。
絶対的医師数にそれほどの不足はないにもかかわらず、医師不足のような現象を、一部にもせよおこすのは、現行の研修医制度のあり方に原因がある。
広く医療知識を体験させるという趣旨ではじまった研修医制度は、有効な医師育成法の一つと考えられたのかもしれないが、当初から見過ごすことのできない欠陥を包含していた。それは、研修医に赴任先医療機関を自由に選択させてしまったことである。
地方の大学卒業生の多くは大都会に憧れを持っている。逆に大都会の大学出身者が地方へ赴任することはまれである。じじつ、東京のある大学病院では、その研修医の多くが島根、鳥取、秋田、信州、山梨などからの卒業生であった。これでは地方大学が空になるのは当たり前である。
医療荒廃解消の捷径案は、研修医の赴任先の自由選択に制限を加えることである。つまり、
第一が、研修は出身大学に限定して行わせる。
第二が、旧来の医局制度にあった、機微にふれた適切な医師派遣の仕組みを、新しい
モラルをくわえた上で再検討してみること。
以上が現在の医療荒廃の解消の捷径であることを提言したい。
さらに加えれば、研修医制度の内容になお多くの問題点がある。現行のものには非効率、非生産的な面が多すぎる。政府の補正予算措置を必要とするが、ぜひとも研修医制度の改善を提言したい。後記。
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