核装備計画
前段の表題を君子豹変としたのは、日本が国是としている非核三原則を改め、核武装国家とな るべく豹変せよ、という意味です。
戦後つくられた日本国憲法は、人類が到達すべき究極の人間社会を志向する、先例をみない崇高な指針・典範です。成立の経過・背景は別として、これを維持・遵守せんとする日本国民の超然たる精神性に、大いなる誇りを感じておりました。ことに、九条の他国を攻撃しないというくだりは人類至高の姿です。
ところが近年、こうした至高の理想像が通用しない事態が発生しています。尖閣列島周辺海域で、暴挙、理不尽・非礼な干渉を行う隣人が突如出現したためです。これに対抗するには核武装するほかに方法はありません。
試みに世界地図を広げてみてください。東京を軸にコンパスを回すと、西のパキスタン、インドからはじまり中国、北朝鮮、ロシアとつづきます。これらはすべて核戦力保有国です。すでに物騒な北朝鮮に加え、日本の脅威となってあらたに現れたのが中国です。世界で第二、三位の富と知能、技術、勤勉、正直、温和を誇る日本国は、まさに、強欲な空腹感をかかえる狼、熊に囲まれているのと同じです。彼らにとって日本はきわめて好餌で、これからも、なにかにつけ干渉、妨害、脅迫などの手段を弄して、襲ってくることは間違いありません。
かつて、鄧小平氏が口にしていました。「・・・この問題は次の世代に任せましょう」と。この中国人の本音は、「次の世代の武力が整うまで、・・・そうなれば自ずと片付く」という意味です。鄧小平氏の脳裏には、領土などすべての問題は武力によって片付くという考え方が根底にあったのです。こうした国々を周辺にもつ日本は、きわめて不自然、不安定な状態にあるのです。欲望の解決手段として武力的恫喝が必然となり、核攻撃の脅かしのもと、恐怖の国土で生存してゆくしかありません。
今の日本には核攻撃を防ぐ術はありません。今回の尖閣列島事件からもわかるように、すべて米国頼みという姿勢には、当然のことながらおのずと限界があり、空しさ・危うさが残るだけです。やはり、自国の防衛はみずから行うという、あたりまえの覚悟がなければ、国を守ってゆくことはできないということです。
核から身をまもるには核装備する以外に方法はありません。核攻撃に対する反撃核能力の有無だけが、唯一の抑止力となるのです。これは今までの強国が主張・実践してきた論理です。したがって、日本はこの際、いかなる困難・障壁があろうとも、核武装に向かう必然性を認識すべきでしょう。
核の世界にはNPT(核拡散禁止条約)という縛りがあります。核兵器保有が許されるのは、米、ロシア、英、仏、中国の五カ国だけで、その他の国の保有は禁止するという規約です。当初から、この条約は正義・平等の理念からいちじるしく逸脱したものであり、ただ核拡散防止という、一見、もっともらしい理屈のもとに、たんに保有国の独占性を維持するだけの、きわめて利己的・独善的な規約です。
ですから、この条約にはインド、パキスタンが反対して加盟せず、結局、現在は核保有国になっています。また、かねて核保有疑惑の濃いイスラエルも、国際原子力機関(IAEA)天野局長の再三にわたる加盟勧告にもかかわらず、拒否を貫き通し、現在に至るもなお核保有の有無について沈黙をつづけています。答えないということは、イエスであると世界の国々は認識しています。
その一方、米国はじめ西欧諸国は、イランには核開発の疑いをもって非難声明をくりかえし、貿易制限などの制裁を課しています。米国がイスラエルには許しイランを非難するというような、ダブル・スタンダードの正義なき外交姿勢をつづけるかぎり、核秩序を真摯に遵守しようとする意欲は失せてしまいます。多くの国はたんに米国と歩調に合わせ、都合のよい話し合いをしているだけのようです。これでは世界の核管理はできません。NPTの整合性、信頼性を取り戻すため根本的な見直しが強く望まれます。
さらに、この規約には保有国の義務が課せられているのです。保有国は非保有国への核武装支援をしてはならないと明記されていますが、米国はイスラエルに、ロシアは北朝鮮にという具合に核支援の手を差し伸べていました。これはNPT規約違反です。二大国が行っていることに世界は沈黙していたようですが、こうしたいい加減なことをしているから、非加盟国同士、たとえば北朝鮮とイランの間での核装備移転が行われてしまうのです。
またNPTはこうも謳っています。保有国は核兵器の削減さらに廃絶を目指す義務がある、と。こうした条約を真摯にうけとめ、誠実に履行の道を歩まない限り、世界から核を消滅することはできません。長い間、米ロ間で交渉が続いておりますが、廃絶までの道のりは遅々としおります。これではNPT履行違反の疑義もうまれます。都合のよいことだけを規約する条約で、みずからの義務を省みないようでは、正義の約束事とはいえないことになります。
このように、現在、NPT自体の存在意義、信頼性、整合性にかげりが生じています。パキスタン、インド、北朝鮮などでさえ、核開発のために多額の費用と、国際社会からの反発を跳ね除け、核保有国家になっております。自国の利益、危機回避、国威発揚のために、国際規約を反故にしても国益重視の姿勢を貫き通すのは、むしろ当然のことではないでしょうか。明日の食料に事欠く北朝鮮ですら、核保有国となっている事実を、もっと日本人は深刻に考えねばならないでしょう。あまりにも呑気過ぎます。
ついでながら、北朝鮮の新しい体制について触れましょう。人民が飢えているというのに、国民の知らないところから、突如、20台そこそこの青年が現れたようです。現れた青年の丸々と太ったメタボの体は、理性、慎重、情愛などの資質より、独善・頑迷、粗暴な資質を想起させています。一方、この兄ちゃんの前を行進する兵士のやせ細った姿たるや、何とも痛ましくも哀れです。北朝鮮の国民を待つこれからの苦難の道が偲ばれ、中国や北朝鮮のような恐慌独裁体制の恐ろしさに身がちぢみます。
この北朝鮮が六カ国協議で日米韓相手に悪知恵の限りを尽くし、あの手この手で援助交際をつづけさせた挙句、ついに核兵器の開発を成し遂げるとは、何とも言いようがないほど見事な悪女ぶりです。ふりまわされた日米韓の鼻下長男子の皆さん、如何にせん、と申しあげたい。甘すぎます。米国の対北朝鮮外交が児戯に等しいほど幼稚にみえてしまいます。これからも駄目でしょう。米国に付き合う拉致問題などを抱える日本、韓国は、まことに辛いことです。
さて、ここで重要なことは、北朝鮮ばかりでなく今回の中国の暴走を、加盟国日本の周辺における異常事態の発生と捉えることができることです。異常事態の発生はNPT脱退条件となるのです。よって、日本は核武装の十分な資格があります。しかし、規約がどうのこうのという前に、現実に核の脅威に曝されている国家として、脱退は当然あるべき自存・自衛の権利です。ここに、日本政府、国民の現状認識と覚悟がつよく求められ所以があります。
核装備するに、遠距離射程のミサイルは目下のところ必要ありません。中国を射程距離におさめられる程度の核ミサイルを装備すればよいのです。核で世界制覇などという大それた意思も、能力もありません。ただ、北朝鮮と中国からの脅威を抑制したいだけです。したがって、大型の核弾頭を装着することもありません。プルトニウム型の小型のもので十分です。この作成には今の日本の知識・能力をもってすれば、一ヶ月とかからないでしょう。また、こうした方法のほかに、少し時間と費用がかかりますが、精緻なSDI(戦略防衛構想)を構築するという選択肢もあります。
いずれにしても、中長期の確固たる国家戦略の確立を目指すという、国民の総意が結集されなければなりません。さらに、米国をはじめとする諸国の理解を得るために、莫大なエネルギーを要す事柄です。国家・国民が総力を挙げて邁進しなければならないのです。
話はそれますが、1895年、日清戦争後、両国の話し合いが下関の旅館春帆楼でおこなわれました。下関条約です。ここで、日本全権伊藤博文のあまりにも強固な交渉姿勢に、中国全権李鴻章は顔面蒼白となり、思わず、「ああ、苛酷、苛酷!」と叫んだ、と同席していた陸奥宗光の「蹇々録」は記しています。軍拡・膨張主義の時代背景もあったにせよ、外交の究極の力は鄧小平ならずとも国威です。国威は武力のなすところで、確固不動の国家間交渉の根本をなすものであります。残念ながら、日本の国威発揚はいま一です。もとより強力な軍事国家になる意思も必要もありませんが、前述するような核防衛能力を持つことが、現今の日本をとりまく情勢の対応策の捷径で,これ以外には良策はないと確信しています。今の為政者・外交官の気迫のガス欠状態を見るにつけ、伊藤博文らの爪でも煎じてもらいたい、と、つい思ってしまいます。
事が起こるたびに、米国の後ろ盾・庇護を期待し、なんらかの言質を得て安堵するような情けない国家、危機対応意識の乏しい国家、確固たる国策欠落の国家では困るのです。一日も早く、米国頼りの日本というイメージを払拭しなくてはなりません。そうでないと、中国ばかりか世界の諸国から、真の国家としての認知も威信も得られません。
もし、米国が日本を本当に同盟国と考えているとするなら、もし、中国、北朝鮮をはじめとする、かつ、将来の仮想敵性国ロシアに対する同盟国と考えているとするなら、当然、日本の核武装にすすんで賛意を表して当然のはずです。現今の極東を地政学的、戦略的に冷静に俯瞰し、日本国民の感情を斟酌しているとすれば、日本の核武装は至極当然の帰結だからです。しかも、これによって受ける米国の利益には計り知れないものがあるのです。まず、極東の戦費の大幅な削減が可能になるばかりか、戦略上の有利性が強化されます。また、そうなるように、日米の政府、軍事専門家が協議を尽くせばよいのです。日本政府にとっても、今までの米軍への、ある意味不毛な、人的物的供与・資金援助が、どれだけ削減することができることでしょう。 なかんずく、米国にとって最も注目すべき利点は、極東の暴発によって招来されるかもしれない、米国への核攻撃を、未然に、かつ労せずして防衛し得る有効な戦略であるということです。
極東の秩序を保つため、あたらしい深化した戦略構想が、今ほど日米両国に求められている時はないのではないのでしょうか。
付記: 未知識の分野への老耄の亡国を憂える小論です。諸般、ご容赦のほどを
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