一ヶ月ルールとう慣例があるという。よって、如何なる海外の要人といえども、慣例を無視した天皇との面会は拒否する、と宮内庁長官は発言した。この発言自体は立場上立派だ。
ところがである。天皇をまもる職責にいる者としてのその後の対応がいけない、当然、職を賭す覚悟があるのかと思っていたところ、なんと、なんと、”私は長官職を辞任しません” と発言なさっておられる。
こうした羽毛田氏の行動、発言を見ていると、戦中の宮内庁長官、たとえば木戸内府などの姿を思い浮かべてしまう。天皇の最もそばににあった人間ほど、なんとも要領よく終戦時の苦難をすり抜けている。
羽毛田氏は職責をなんと考えているか。内閣の一員たる宮内庁長官が、VIPとの謁見を拒否する以上、もっとその職責の重大なことを認識してもらわなければ困る。職責が果たされなかったのだから、当然、職を辞すべきなのである。それくらいの信念と覚悟をもった宮内庁長官でなかれば、これからの皇室の存続は危うい。
職責上、”言うことは言いました、しかし、残念ながら通りませんでした”、という、如何にも官僚そのもののような言動で、身分が保障され、一件落着というのでは、あまりにも無責任ではないか。命や職を賭して尽くすという信念覚悟がないから、こんないい加減な態度・発言になってくる。
戦争を通じてわれわれは、側近ほど責任から逃げる、ということを学んだ むかし、われわれ日本人は、一身をささげて天皇に尽くした。そして数百万の日本人が南海の藻屑となり、あるいは熱帯のジャングルで蛆虫に食われながら餓死、あるいはまたシベリヤの凍土に日本の空を夢見ながら死んでいった。
宮内庁長官などという仕事は、通常ほとんど仕事らしい仕事がない職場であろう。皇太子、秋篠宮、雅子さんらの間も、国民のわれわれから見ると、なんともちぐはぐだ。こんなことも、本来、長官以下が一所懸命調整に努力し、天皇の宸襟をお慰めになるのが最大の忠勤と思うのだが。互いに愚痴をこぼし合って,なすなしの姿勢を続けているようでは困るのである。
要するに、何事もやる気のない連中が、ただ名誉と保身にしがみついているだけだから、何事にも一向にしゃきっとしたことができない。古色蒼然たる旧守、平安調の空気を楽しんでいるようだ。
天皇側近の立場をもう一度考えてほしい。宮内庁長官というのは、官僚の中でもことに命をかけてやる職責なのである。たんなる一段高いところから国民を見下ろすような特権職ではない。そして、凄烈な覚悟を持って職責に向かう責任があるということを、再認識してほしいものである。
このままでは、高級官僚の掃き捨て場、虚名と自己保存だけのぐうたら長官職、という謗りを免れないであろう。