最近、スタンダード&プアーズ社なるものが、日本国債の格付けをAAからAA-と、一段階引き下げたようだ。膨大な借金と歳入不足が理由という。日本以外の米国、英国、ドイツ、フランスなどは見事にAAAである。
そもそも国債の格付けは、対象が国債ということにはなっているが、一国全体の国力あるいは信頼性をイメージさせる。投資家でない一般人はそうした印象を受ける。
国債の格付けが財政収支を主としておこなわれているとすれば、それは一寸違うようにも思われる。格付けがあたかも一国の財政状態を正確に表現しているかのごとき印象を、世界に発信、喧伝しているだけに、その信憑性はきびしく問われなければなるまい。
一国の国債発行が、その国力全体からみて適切な範囲にあるのかどうか、という視点にたったものでなければならない。広範な分野にわたる細密な調査、検討がなされているらしいが、国債発行額,歳出,歳入,GDPだけを重視した経済指標では、国力などというものを十分に表現できるものではない。国家の経済・財政の実力の全体像を正確に映し出したものとはいえない。一部の利用者には都合が良いかもしれないが、一般国民には無用の長物であり、誤った固定観念を与えてしまう恐れさえある。
たとえるならば、財務内容は良いが経営者・労働者ともに生産性の乏しい企業が、やや負債は多いが生産性優秀な資本財・経営能力を有する企業より、格付けが上位におかれる不都合と同じである。
AAAを誇る米国の経済財政、国力はどうなっているのだろうか。
現下、膨大なドル紙幣を世界中に垂れ流しているのは、ほかならぬ米国である。その金額はおそらく日本の赤字国債どころの話ではない。世界中に米国債を、低下し続ける信頼をものともせずばら撒いている。勝手にドル紙幣を印刷しているのだから赤字国債乱発と同じた。米国が稼ぎ出す金額をはるかに超えるドル紙幣が世界中に飛び散っている。key currencyの魔術であろうか。
さて、 スタンダード&プアーズ社自体が、信頼できる調査機関であるかどうかも疑わしい。2000年前半頃から、一部にささやかれはじめていた、危険な金融商品(主としてリーマンブラザースのサブプライムローン証券)の動きを察知し、これを格付けに反映して世人に警告を発していたのだろうか。じじつは真逆である。恐慌発生のつい数日前まで、サブプライム証券の格付けをAAAのままにしてあった。その数日後には紙くず同様のジャンク債となる運命の証券を!!!。 スタンダード&プアーズ社はリーマンショック引き金の張本人といってもよいくらいではないか。
このため、世界のほとんどの人は、事前に警報をうけることなく、突如襲来したリーマン・ショックに愕然、われを失った。つまり、スタンダード&プアーズなるものは、その機能を果たせなかったというだけでなく、悪の手助けをしていたと思われても仕方がないのである。全世界の金融、財政、投資の世界に、計り知れない損害、危機をもたらした責任たるやはかりしれない。にもかかわらず、現在なお世界格付け会社として君臨しているのが、これまた世界の不思議である。大きな悪の後ろ盾の存在を、つい考えてしまいたくなる。
世界が神聖視するほどの信頼性の高い会計検査会社が米国にあった、米国アンダーソン会計検査会社である。これがまた巨大企業エンロンの会計検査にさいし、粉飾、欺瞞の監査をしていていたことが判明した事件があった。スタンダード&プアーズにしても、アンダーソンにしても、一見もっともらしい顔つきをしているが、その裏は恐ろしい悪であることを、お人よしの日本人は忘れてはならない。
この格付けの如何によって、国家の財政経営がきわめて困難になったり、ことによったら国家そのものが崩壊する事だって起こりうるのである。スタンダード&プアーズ社の世界に及ぼす影響はきわめて大きい。それだけに、その信頼性の維持のために、いかなる国家、勢力、グループなどの干渉も受けてはならぬものであり、恒常的に完全無欠な格付けの信頼性が担保されなければならない。
ゆえに、スタンダード&プアーズ社は会社機構全体の透明性が厳しく求められるべきものである。米国政府の関係機関以外に、国連なり、国際司法裁判所あるいは米国以外の専門家などから成るプロジェクトチームによる、その運営の細部にわたる調査があってしかるべき存在と思われる。格付けされるべきはまさにスタンダード&プアーズ社であり、深読みすれば、投資ことに国際通貨を操作する機関との疑いがどうしても残る。
長い間鎖国を続け、諸外国との交流の少なかった日本人は、世界から誠実というありがたい人柄の、人種集団とみなされるようになっている。ところが、外国,ことにアングロサクソン系、ユダヤ系の人たちの経済観念、物欲は、日本の近江商人どころのさわぎではない。如何に巧妙に、如何に法律を逆手にとってまでしても人を騙すか、を商道と心得ているとさえ見える。最近、日本でもこういう手合があらわれ出しているようだが、日本人本来の姿ではない。商道の必勝は誠実にある。
米国の失業率は未だに10%の高止まりの状態を続けている。資本主義国ではつねに失業率の存在が不可欠かもしれないが、3%ぐらいなら許されようが、米国の10%はあまりにも異常であり、ましてや、多民族国家ともなれば、政治不安をふくめて重大な危機ととらえるべきでレベルである。日本は5%で大さわぎとなっている。スタンダード&プアーズ社の格付けでは、米国の高い失業率は考慮しないのであろうか。世界通貨経済の通念として、あまり高い失業率国家への投資は抑制傾向、マイナスファクターの筈なのだが。
一方、オバマ大統領は政治生命をかけて、医療皆保険制度の法制化を進めている。が、共和党の反対で法案の成立は難航しているようだ。反対する者の言い分のなかには、「貧者が貧しいのは自分の責任だ、彼らを援助するために税金を使う必要はない」という呆れた論理を口にする者がいる。その民度たるや、まるで非文明国家のようだ。到底、自由、平等、博愛を標榜する国のものとは思われない。これでは低開発国以下だ。反対する者のなかには、優勝劣敗が精神構造となっているアングロサクソン系かユダヤ系の無教養な連中が多いのかもしれない。
日本では戦前から、医療皆保険制度が完備されている。世界の長寿記録はいつもトップだ。こうした日本の現状を米国民に周知させなければなるまい。こんなことをしている国家に未来はない。こんなことぐらい理解できない民度では困ったものだ。何より不幸なことは、「貧者が貧しいのは自分の責任だ、彼らを援助するために税金を使う必要はない」なんていっている国家が、仮にも世界をリードしていることだ。
米国での銃乱射事件はいつまでたっても絶えることが無い。何しろ、憲法が、各人の銃の保有は自己防衛のために必要、と許容している。ばかばかしい話だ。各人に銃をもたせておかなくては、国内の治安が維持できないということを、憲法で制定しているつもりか。荒野の開拓時代でもあるまい。こうした国民の慣習・通念が、他国への軍事介入を安易に許す土壌となっているのだろう。
ちょっとした不満があれば、簡単に多数の人に向かって銃を乱射する。ハロウイーンの姿で家を間違ったというだけで、ショットガンで撃ち殺された日本人少年、バトンルージュの服部君の記憶は今も生々しい。到底、日本では考えられない事件である。政治の対立候補者を追い落すため、銃口をイメージさせ間断なく発射しろ、などと選挙集会で叫ぶ馬鹿げた人間さえ現れる。米国ライフル協会とやらは、そろそろ年貢を納めたらどうか。
これからの世、日本人もいろいろな世界の人間と付き合ってゆくようになろう。そこでまず、悪という視点から人をみる習慣も、一寸だけ身につける必要がありそうだ。すべての人間に誠実な日本人のようになって欲しいと願いつつも。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。